スピーチを成功させる、たった一つの冴えたマインド。緊張せず、自然に伝わる。
スピーチすることを避ける同僚たち
うちの会社では毎朝、出勤している全社員で朝礼を行い、誰か一人がスピーチをする。3〜4週間に1回くらいの頻度で、自分の番が回ってくる。
テーマは毎日変わる。「職場の教養」という薄い冊子に1日1ページ、「ありがたい」話が載っていて、それを読み上げた後に、感想を発表する。テーマは、
「環境を大切にしましょう」
「身の回りを整理しましょう」
「自分の強みを探しましょう」
「感謝の気持ちを伝えましょう」
と言った感じだ。
同僚はスピーチの順番がまわってくるのを歓迎しなかった。「うわあ、明日だ。どうしよう」とか「かったるい」とか言い合っている。そして、
「私は今まで環境問題についてそれほど考えていませんでしたが、今日の職場の教養を読んで、環境を大切にすることの大切さを知りました。まずはゴミの分別や、エコバックを使うことから始めていきたいと思います。以上です。ありがとうございました」
というようにスピーチをし、また同僚と、「緊張したあ」とか「よし!これでしばらくまわってこない」などと言い合う。
おそらく、日本中の会社で見られる光景であろう。
でも俺は、これは人生の充実に繋がる態度ではないと思った。もっとハッキリ言うなら、良いスピーチができない態度だと思った。
誰のためにスピーチしているか?
結論から言うと、彼らは自分のためにスピーチをしていると思う。
彼らが頭の中で考えているのは、
「噛まないようにしなきゃ、笑われるから」
「無難にやり過ごそう」
「これ言ったらみんなにどう思われるかな?」
とにかく、自分が皆がどう思われているか・どう見えているかばかりに気を取られているのだ。
しかし、これは正しいスピーチの態度だろうか?
違うと思う。
スピーチには当然聴衆がいる。我々はスピーチをするとき、たくさんの聴衆の貴重な時間を頂いている。5分なり10分なり、あなたの話を聴くために静かにしているのだ。そんな時間に、ただ自分のためだけに話すのは、聴いている人を舐めきった態度だと思う。
スピーチはプレゼント。相手のために話せ
ではどうするべきか?
相手のために話すべきだと思う。
聞いてくれている皆さんに、知識を提供して役立ててもらったり、面白い話をして楽しんでもらったり、深い話をしてヤル気を出してもらったり。このような話をするためにも、「相手のために話す」というマインドは必須だ。
そしてその上で、「スピーチはプレゼントである」と意識すること。
大きな話をしなくていい。環境問題をどうこう、とか、政治がどうした、という話はプレゼントになりづらい。付き合って一週間の異性から、高級車や家をプレゼントされても、おいそれと受け取ることができないのと同じだ。
日常の中で起こったこと・思ったことを正直に話すのが一番のプレゼントだ。
「昨日、家庭であった、ちょっと可笑しい話」
「ケアレスミスしがちな自分が、仕事でミスしないためにしてる工夫」
「すごくオススメのスマホアプリ」
このくらいの話が、一番受け取りやすいプレゼントになる。
俺も今までそのようなスピーチをしてきた。
「本を買うよりも、時間を決めて立ち読みしてみたら真剣に本と向き合えた話」
「先週、妻に髪を切ってもらったら、すごいパッツンヘアーになったけど楽しかった話」
「だらだら勉強しがちな自分が、集中できたちょっとしたコツ」
せっかく皆さんが業務時間中に聞いてくださるのだからと、毎回構成も考え、頭の中でイメージトレーニングをした。すると、「相手のため」という意識も相まって、ほとんどスピーチで緊張しなくなった。用意したことを十全に話すことができた。
結果、お偉いさんから「とても面白い」「話し方を教えて欲しい」といわれ、今まで関わったこともない会長から、「いつも面白いスピーチをありがとう」と言われた。とても嬉しい。
これは俺が「相手のために話す」ということを徹底しているからだと思う。皆さんも少し変えてみてください。もちろん最初は勇気が必要だったけど、一歩踏み出せば意外となんとかなるものですよ。
「今を生きる」岡本太郎の人生哲学は素晴らしいが、真似できる気がしない。せめて今に集中する。
人生、無難な道ばかり選んできた気がする
危険だ、という道は、必ず自分の行きたい道なのだ。
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。
私は人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた。
「危険な方向、怖い選択肢を選べ。そうすれば人生は輝く」という岡本太郎の人生哲学。すごく説得力があって魅力的だ。その瞬間瞬間、心の赴くままに挑戦し続ける、そうすれば強烈に毎日が輝いてくる・・・。異議なし、岡本太郎に一票。
でも俺にはできない、危険な道を選ぶなんて・・・。
思えば、始めて岡本太郎の思考に触れたのは、中学生の頃だった。
親の本棚にあった『自分の中に毒を持て』を手にとってみたのだった。
子供ながらに衝撃を受けたのを覚えている。こういう生き方があったんだ!自分はなんて守りに入った人生を送っていたんだろう!
当時、俺はどこにでもいる中学生だった。受験をしてそこそこの私立校に通い、その中でも成績は真ん中くらい。なんとなくテニス部に入り、ゆるく活動。趣味はゲームと読書とネットサーフィン。友達は多くもなければ少なくもない。控えめな性格だと人に思われており、自分でもそうだと思っていた。
そんな折に、この毒薬みたいな思想に触れたのだ。感銘を受けないわけがない。
しかし、感銘を受けただけで終わった。俺はそれからの人生でも、危険な道を一切選ばなかった。今でもそうだ。安全な道ばかり選んでいる。
うまく行きそうな道、快適そうな道、無難そうな道、平均的な道、誰にも迷惑をかけない道、自分が傷付かない道。
危険な道に飛び込むなんて怖くてできないから、そういう道ばかり選んできた。
では、俺の人生は輝いていないのか?
そうは思わない。今の自分の人生に満足している。
最高の嫁さんと結婚して生活を共にし、傑作小説に心を震わせ、文章を書くという健全な努力をし、借金はあるが働きながら前向きに生きている。
世間的には幸せとは見えないかも知れないが、俺は幸せに生きている。
なぜか?
岡本太郎の人生哲学に照らし合わせて考えるならば、俺は今に集中できているんだと思う。
今に集中することの大切さ
面白いねぇ、実に。
オレの人生は。
だって道がないんだ。
眼の前にはいつも、なんにもない。
ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ。
人はついつい過去のことを考え、囚われる。そして未来を予測し、うまくやろうとする。
しかし我々が生きているのは、今この瞬間だけだ。過去はもう過ぎ去ったし、未来はまだ来ていない。もちろん、ある程度過去や未来のことを考えるのは当然だし、必要だと思う。しかしそれで今をボーッと生きていたのではしょうがない。永遠に続いていく今を生きるのだ。
最近俺は、「今に集中している」時間が増えたような気がする。
嫁の言葉に耳を傾けているとき。
心を震わせる文章を読んでいるとき。
自分の考えで下手な文章を書いているとき。
岡本太郎が主張するような、人生に挑んでいく情熱的な態度とは違うかも知れない。でも「今に集中する」という形で近づいている気がする。
どのように今に集中してきたか?
どうして今に集中できるようになったのか?
自分が情熱を傾けること、大事に思っていることに集中できるのは当然だ。自分が人生を生きる中で大事なことが増えた、というのは一つの答えかも知れない。
しかしそれとは別に、俺は「マインドフルネス」を練習し、多少とも身に付けたのだ。
マインドフルネスとは今に集中して、「今この瞬間に気が付いている」状態を指す。過去のことや未来のことを考えてボーッとしていない状態である。
俺はこの本で練習した。
マインドフルネスの練習では、まず「瞑想せよ」と言われることが多い。もちろん効果的だが、初心者にはあまりに敷居が高い。俺だって、今でこそ瞑想を習慣にできたが、「げええ、瞑想?退屈だし、できる気がしねえ」と思っていた。実際にしなかった。
しかし、この本のアプローチは瞑想ではない。日常の些細な行動の中に、マインドフルネスを取り入れるというやり方だ。例えば、
- 背筋を伸ばす。
- 街を歩くとき、青色の物を探す。
- 食器を洗うとき、水が手に触れる感覚を意識する。
- 手が複雑に動いているのを意識する。
- 足が地面に触れている感触を意識しながら、歩く。
などなどである。日常生活の中で意識できることばかりだ。
背筋を伸ばすことを意識している瞬間、あなたは過去にも未来にも囚われいない。間違いなく「今、ここ」にいる。他の練習方法でも同様だ。
俺はこの練習をしてから(今でもたまにする)、今に集中できることが多くなった。コントロールできないことに気を囚われる瞬間が少なくなった。過去や未来ではなく、今この瞬間の中に存在できる瞬間が多くなった。
岡本太郎のように、情熱的に今この瞬間を燃やし尽くすことはできないが、今に留まり、充実した時間を過ごすことはできる。
これで十分すぎる。今のところは。
人生が輝き出した素晴らしい習慣ベスト5。万人におすすめ。
習慣は第二の天性である。
生活とは、習慣の織物である。
良い習慣は、法律よりも確かなものだ。
はじめは人が習慣を作り、それから習慣が人を作る。
いまこの1秒の集積が1日となり、その1日の積み重ねが1週間、1ヵ月、1年となって、気がついたら、あれほど高く、手の届かないように見えた山頂に立っていたというのが、私たちの人生のありようなのです。
古今東西あらゆる偉人が、習慣の大事さについて述べている。
俺は凡人なりに、偉人の言葉を信じて、良いと思われる習慣をつけようと努力してきた。うまく行くことも行かないこともあったが、定着した良い習慣は、俺の人生を自動的に良い方向へ導いてくれた。
そう、自動なのだ。習慣というものは、定着させるのには工夫が必要だ。ある程度の努力と時間もかかる。しかし、ひとたび習慣として定着すれば、あとは意識せずとも人生が好転する。習慣になっていなければ、毎日苦痛に満ちた努力が必要だろう。
だから、習慣をつけるのは早い方がいい。今月良い習慣を身に付ければ、来月から一生あなたを助けてくれる。
そして、人生で一番若い日は今日なのだ。是非今日から意識して習慣を身につけることオススメする。
今日は、自分が今までに身につけてみて、良かったと思う習慣を共有する。みんなの参考になればいいと思ってます。
第5位:インターネットを遠ざける
インターネットを遠ざける。具体的には、テレビとスマホだ。
まずテレビについては、ウチにはもうない。なんとなく付けっぱなしにしてしまって、時間を浪費したり、集中力を削がれたりする。
だからうちの嫁がテレビを実家に送り返したのだ。大正解だった。他のことをする時間がかなり増えた。
次にスマホである。
こちらの記事でも書いたが、スマホはあまりに便利であまりに刺激的すぎる。「スマホ中毒」という言葉もあるくらいだ。自分はいくつか工夫をして、スマホの使用時間を減らした(その工夫については、上記記事で)。
スマホを制限したことにより、作業に集中できるようになったのと、作業に使える時間も増えた。スマホとは上手に付き合うことをお勧めする。
第4位:日記をつける
日記をつける。その日あった出来事、自分の思ったこと、そして特に大事なのが、成功したことと失敗したこと。
成功したことは、またこれからも同じように行動すれば良い。きちんと文章にすることで、自己肯定感が高まる。
そして失敗したことだ。次からどうすればいいのか考えて、自分なりに文章に残しておく。問題意識が芽生え、解決する方向へとあなたは進むだろう。
日記でその日を振り返ることにより、「明日からどうするか?」という指針が立てやすくなった。人生迷子にならないためにオススメ。
第3位:人の話を聴く
人が他人に求めるもので最高のものは「理解」であると思う。だから最高のプレゼントは相手の話をきちんと聴くことだ。
相手の話をきちんと聴くことで信頼関係が築けるし、新たな気づきも得られる。でも話を聴くとは本当に難しい。世間で思われているよりもはるかに難しいと思う。
聴くとは受動的なものとされている。でも俺は違うと思う。自らすすんで能動的に「聴く状態」に自分を持っていかなけらばならない。人の話を聴くことに関しては。以下の記事に書いた。是非参照してほしい。
第2位:本を読む
読書。言わずもがなである。
読書のおかげで、よき生き方や、優れた思想や、心震える物語に出会うことができた。間違いなくあなたの人生を好転させてくれると思う。俺は、根本的には読書のおかげで幸せな人生を送れていると思っている。
俺は小学生の頃から読書をしていた記憶があり、今まで断続的に読書を続けてきた。それでも時には全く本から離れる日もある。これだけ長い間読書をしていても、まだ完璧に習慣にできていない。これからもこの習慣を育てていきたい。
第1位:発信する
発信。自分の得た知識や知見を、Twitterやブログで発信すること。以下の記事で詳しく書いたが、発信することで日々、大きなインプットをすることができて、自分が大きく成長しているのを感じる。
成長できるだけではなく、生きがいになりつつあるのを感じる。そして何より、もしかしたらこの世界の誰かのタメになるかも知れない。人の為になれるのは、生きる気力が最高に湧いてくる。
発信もまだまだ習慣にできているとは言えない。でも毎日少しづつ発信することで、少しづつ文章が上手くなり、書くハードルが下がっていくと思う。これからこのブログを通じて、良い人生に導いてくれる習慣を育てたい思う。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
本を買わなかったら、むしろ真剣に集中して読書できた話/お金を使うデメリット
読みたいあの本は、もう家にはなかった
な、なぜ売ってしまったんだ・・・!!
Youtubeでとある動画を観ていたら『言葉にできるは武器になる』という本が強くオススメされていて、猛烈に読みたくなった。しかしそれと同時に猛烈な後悔の気持ちが沸き上がってきた。なぜなら、『言葉にできるは武器になる』は数年前に買って読んだことがあったのだが、少し前にブックオフの出張買取で100冊ほど本を売った時に、一緒に出してしまっていたからだ。
以前の自分だったら、迷うことなく書店で『言葉にできるは武器になる』を再び買っていただろう。しかし、今は借金があって、とても本を買っている場合ではない。
さてどうしようか…、なんとなくうろ覚えの知識ならあるし、ネットで調べれば要約だけなら読めるかな…、でも具体的な説明まで見たいな…。
どうしたか?
お金がない自分は立ち読みをした。すると・・・
俺は近所のジュンク堂に走り、ビジネスコーナーへ。そして『言葉にできるは武器になる』を10分ほど立ち読みし、内容の要点だけを暗記(言葉には2種類あって…そして内なる言葉を鍛えるには…云々)。その足で帰宅し、今覚えた要点をノートにメモした。
あまり長時間立ち読みするのは疲れるので、短い時間で読もうという力が働き、結果として本当に必要な要点だけを拾う読書になった。急いでメモしたあとで、そのまますぐに本を書いてあったことを実践した。そして、あとから振り返って気がついた、ーーー普段よりもはるかに効率的に情報収集・暗記・実践ができたのだ。
というのも、いつもの自分は以下のようなプロセスを踏んで、読書・実践をしている。
- ネットや書評などの評判の良い本・なんとなく気になった本があったら本屋へ行く。
- 本の目次と冒頭を立ち読みしてみて、面白そうだったら買う。
- 帰って読む。しばらく放置されることもある。
- 1冊読むのに1〜5日かかる。
- たまに思い出したように再読する。
手元に本がないメリット
お金を使うデメリット
そしてふと思った。
自分は今お金がないので、お金を極力使わない生活をしているが、なぜかとても「豊か」になっている気がするのだ。
お菓子やジュースを買わないので、健康的になった。
飲み会や遊びに行かないので、他のことをやる暇ができた。
本や漫画を買わないので、少ない情報に集中できた。
今、お金はないがとても豊かな気分だ。
「お金を使う」ということは、ただ単に、自分の財布からお金が減るというだけじゃない。それに伴い、健康や時間を消費する。
例えば、飲み会に行けば、脂っこいものを食べたり、酒を飲んだりして、健康を損なう可能性が高い。それに時間だって使う。二日酔いすれば次の日も無駄になるかもしれない。*1
だから「お金を使わない」ということは、案外豊かに生きるための鍵なのかも知れない。(お金があったら、自分はこんな風に文章を書いて、ブログを毎日更新できなかっただろうな)
*1:もちろん、もっと意識の高い人間はもっと良いお金の使い方ができるのかも知れない。でも自分のような次元の人間がお金を使うとなると、浪費になってしまう。
世界中を幸せにする合理的な方法。
『幸福論』との出会い
俺は人生の幸福の作り方を、アランの『幸福論』から学んだ。
この本を読むまでは、幸福について深く考えたことはなかった。むしろ「幸福」という言葉を避けていた。宗教的で、怪しくて、薄っぺらい言葉だと感じていた。
でも読んで変わった。自分の幸福について考え、幸福を作り上げて行きたいと思った。みんなにも、アランの『幸福論』の要点を伝えたい。
さて、本書でのアランの主張はとてもシンプルだ。
それは、
「行動せよ」
と言うことだ。
何もしなければ、人は不幸になる
不幸になったり不満を覚えるのは容易い。ただじっと座っていればいいのだ。人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。
気分に任せて生きている人は皆、悲しみにとらわれる。否、それだけでは済まない。やがて苛立ち怒りだす。
何もせずじっとしている人間は不幸になるとアランは主張している。
自分の経験と照らし合わせると、その通りだと思った。
皆さんは、こんな一日を過ごしたことはないだろうか?
前日に夜更かしをしたせいで、昼過ぎまでベットで過ごす。家にあるインスタント食品で一人の食事をテキトーに済ませる。ツイッターのトレンドをなんとなく眺めたり、スマホゲームをするが、つまらない。いつの間にか外は夕暮れ。5時を告げる鐘がかすかに聞こえてくる。本を読む気も起きない、出かける気も起きない。パッとしない一日を取り戻すため、一人で缶チューハイを開ける。結局満足は得られぬままに、夜が更けていく・・・。
俺はとても覚えがある。こんな風に特に何もせず家でじっとしているような日は不幸だった。
では幸福の形とは何なのか?
幸福は行動の中にしかない
幸福はいつでも私たちを避ける、と言われる。人からもらった幸福についてなら、それは本当である。人からもらった幸福などと言うものはおよそ存在しないものだからである。しかし自分でつくる幸福は、けっして裏切らない。
能動的に身体を動かし、困難があろうとも継続し、そして実際に行動に移すこと。これこそが幸福になるために必要なことだとアランは考えた。
つまらない芝居を観ると、俺たちは退屈するに違いない。でも、自分がその芝居に出演者になったとしたら?間違いなく退屈などしていられないだろう。
幸福になりたいのであれば、傍観者でいるのではなく、自分で舞台に上がらなければならないのだ。
アランの思想はここで終わらない。自分が幸福であると、他人も幸福になる、と言うのだ。
幸福であることは義務である
自分が幸福であると、それが他人に伝染し、他人まで幸福にする可能性が高いという。そしてもちろん逆もまた然りだ。自分が不機嫌だとこうなる。
共同生活が不幸をさらに増加させる。もしあなたが機嫌の悪いままレストランに入って、隣の客やボーイにも敵意のこもった眼差しを送ってしまうとする、もうおしまいだ。不機嫌が顔から顔にすぐに伝わり、あなたのまわりですべてが衝突する。コップは割れる。ボーイは今晩女房を殴る。このようなものごとのメカニズム、伝染の仕方をよくとらえるがいい。
職場でイライラして舌打ちをしている人間がいたら、何だか自分まで苛立ってくる。そしてニコニコして感じが良い人がいると、自分までいい気分になる。納得である。
だからこそ、アランは言うのだ。
「幸福であることは義務である」と。
自分が機嫌は、自分だけの話ではないのだ。周りに影響し、変えてしまうのだ。
そして俺はこんなことを夢想する。
もし自分が最高に上機嫌ならば、俺の同僚や家族や友人も笑顔になる。そうすれば彼らの身近な人も幸福になる。そしていつか世界中に笑顔の輪が広がる。
世界中を幸せにする合理的な方法は、「自分が幸福になり、身近な人を大切にする」だと思った。
惰性の趣味を、ライフワークに変える〜『知的生活の設計』
惰性で本を読んでいた
本を読む自分をかっこいいと思っていた。
背伸びして難しそうな本を次から次へと読んだ。ニーチェ、マルクス、ロラン=バルト…。意味がわからなくても、わかっているフリをした。したり顔で、半端な専門用語を使ってにわか知識を披露した。周りに「頭良い!」と言われるのが快感だった。自分を大きく見せようと必死だった。*1そしてまた次から次へと本に手を出した。
しかし何も残らなかった。作者の経験や知見によりかかり、自分の手で何ひとつ掴もうとしなかった。俺にとって読書とは、まさに自分の代わりに他人に思考してもらうようなものである。
虚しく、張りのない読書ライフを送っていた折、『知的生活の設計』に出会った。
趣味を、ライフワークに
日々の趣味を一過性の楽しみで終わらせるのではなく、将来にわたってあなた自身を支えるライフワークに成長させること。生活のなかで知識や経験を磨くことで、仕事においても応用できる発想力や洞察を蓄えること。そうして積み重ねた自分自身の個性を武器に、人生を長期的に切り開いてゆくこと。それが本書の目指す目標です。
そのヒントになるのが、あなたの日常を『知的生活』と捉えるという視点です。
知的生活とは、新しい情報との出会いと刺激が単なる消費にとどまらず、新しい知的生産につながっている場合(…)です。
衝撃だった。まさに求めていたことだった。今までの自分は、毎日ダラダラと生活し、なんとなく本を開き、わかった気になるが、なにも残さない。しかし、長期的に積み上げ、ライフワークにしていくという発想・方法があったんだ。
本書『知的生活の設計』では、以下の手順で単なる消費を長期的なライフワークに変えていく。ざっくり。
- 毎日のインプットの時間・リソースを確保する。
- 自分の中にテーマを持つ。
- 日々の気づきや情報をメモするツールを用意して、積み上げていく。
- 情報を発信する。
自分はどのように知的生活を送っているか?
1.毎日のインプットの時間・リソースを確保する。
また、情報収集のための本は、元から自宅に置いてある本、図書館で借りてきた本を使う。今まで「名著はとりあえず買う病」にかかっていたので、1年で読み切れないくらいの本がある。
2.自分の中にテーマを持つ。
- 嫁と最高に楽しい毎日を送る方法
- 深く本を読むコツ
- 心と体の整え方
- 誰も気づかなかった視点を持つにはどうすればいいか?
- 誠実に生きる方法
- どうしたら賢くなれるか?
- 面白い小説はなぜ面白いのか?
3.日々の気づきや情報をメモするツールを用意して、積み上げていく。
自分はノートにメモしていくことにした。紙の方が思いついたことを速く書けるし、あとからパラパラめくって見返すことができると思ったから。また、スマホには誘惑が多く、メモするついでに余計なアプリを開いてしまいそうだったから。
4.情報を発信する。
ふたつ目は、自分の考えを整理できたこと。『知的生活の設計』の何が役に立ったのか、自分はどんなテーマを考えているのか、はっきりした。頭の中で考えているだけでは思考は曖昧で、書いてみることでやっと形になる。それを実感した。