人間であれ

人間になりたい

日々まともに働き、暮らし、人間になる方法

バカバカしいほど小さな目標を立てよ!挫折知らず。『小さな習慣』で人生を変える。

 

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 何事も続かねえ…!!

 

 俺は今までの人生で様々なことに挫折してきた。

 体型と健康のためにプロテインを買い、ジムへ通った。しかし数ヶ月で退会した。ブログにたくさん良いことを書こうとするも、1ヶ月もしない内に放置状態。買った分厚い学術書を読んだのは最初の10ページだけ。結局一枚も完成させずに放ったイラストの指南書…。書きかけの小説…。

 

 挫折するたびに嫌な気持ちになり、「今度こそは」とまた新たな誓いを立て、そして挫折する。その繰り返しだった。

 

 そんな自分を、この本が少しづつ変えてくれた。スティーヴン・ガイズ著の『小さな習慣』だ。

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 本書の主張は、「バカバカしいほど簡単な目標を立てて、それを毎日達成せよ!」というものだ。著者は「毎日腕立て伏せ1回」を目標にしたそうだ。本当にそんなんでいいの!?と思うほどに簡単だ。しかしそれこそが物事を習慣にするコツなのだ。

 

 

 

なぜ小さな目標が良いのか?

 小さな目標は大きな目標よりも優れている!

 人は大きな目標を立てがちだ。例えば、「毎日ジムに通う!」とか、「1日2時間勉強!」とかだ。しかし、本書ではそれよりも小さな目標を立てるべきだと主張している。しかもとてもとても小さい目標だ。例えば、「毎日腕立て伏せ1回」や「1日3分勉強」といった目標だ。簡単すぎて、逆にやらないのが難しい目標が望ましい。

 なぜこれほど小さな目標を立てることが、習慣化のために良いのだろうか?

 ともかく長続きする 

 人は習慣の生き物だ。毎日やっていることを人は次の日も繰り返す。だから今までにやってなかったことを習慣にするのは難しい。そんな中で、「1日2時間勉強」という目標を達成できるだろうか?厳しいと思う。考えただけでゲンナリするだろう。しかし、「1日3分勉強」ならほんの少し気持ちを動かすだけでできる。時間は多くなくとも、とにかく毎日できるのだ。

 毎日やっていると、だんだん行動のためのハードルが下がり、習慣化していく。行動するのがどんどん簡単になっていく。毎日ものを続けるなら小さな習慣が絶対に優れている。

 

結局たくさんやってしまう

 やる気というのは不思議なものだ。掃除なんてしたくないと思っていても、いざ掃除をし始めるとどんどん細かいところまで掃除してしまう。やる気とは、行動によって生み出されるものなのだ。

 だから、「1日3分」という目標を立て、実際に3分間勉強してみると、あなたの心に大きな変化が訪れる。何もせずダラダラしていた時よりも、遥かに勉強する気分になっているはずだ。

 結局は、10分…30分…2時間…と続けてしまう場合が多い。もちろんあくまで目標は3分だ。3分やったらやめていい。

 

 ともかく、行動のためには最初の一歩が重要なのだ。一歩さえ踏み出せば、あとは比較的簡単に歩み続けることができる。その意味で、小さな目標は理にかなっている。

 

自己肯定感が上がる

 自己肯定感とは、自分には結果を出すことができると信じること。

 そのためには自分で決めた約束を守ることが有効だ。自分との約束を守ることは、責任感を高め、できると思う気持ちを高めてくれる。

 小さな目標を立てて、それを守ることは、自分を信じるトレーニングになる。何はともあれ、自分は決めたことを守れるんだと信じる気持ちを強くすることができる。

 大きな目標を立てて、挫折し、自己嫌悪に陥るより、絶対に良い。これも小さな習慣が優れている点だ。

 

習慣化のための2ステップ

 さて、小さな習慣が優れていることはわかった。では具体的にどのように目標を立て、それを達成するか?

 本書では8つのステップが解説されているが、今回は最も大事なコアのコアの2ステップを紹介する。

 

付けたい習慣を選び、小さくする

 まず自分が付けたいと思う習慣をリストアップする。例えば自分の場合だと、

ブログを書く
英語を勉強する
本を読む
早寝早起きをする
運動をする

 

という習慣を付けたい。

 次にこれらを小さい習慣に置き換える。小さすぎて、失敗のしようがないほどに習慣を小さくする。

ブログを書く→毎日100文字書く
英語を勉強する→毎日英語の講演のyoutubeを再生(するだけ)
本を読む→毎日本を開く
早寝早起きをする→目が覚めたら上半身だけ起きる
運動をする→毎日屈伸1回

 

 このようにした。本では、一度にやる小さな習慣は3つまでが推奨されていたので、自分は「毎日100文字、本を開く、屈伸1回」の3つを選んだ。

 

記録する

 今日はその目標を達成できたかどうか、夜に毎日記録する。記録することで行動が強化されるのは、科学的に証明されている。

 確かに、「これやらなかったら×になるのかあ」と考えると、やってしまうもの。小さな目標なら尚更だ。

 記録媒体はスマホか大きなカレンダーがオススメされている。スマホではアプリを使うと簡単だ。

iPhoneモメンタム/プロダクティブ

Androidハビットブル/ハビット・ストリーク

 

 自分は、iPhoneのモメンタムを使った。シンプルで使いやすく、オススメ。

 

終わりに

 自分は今ではこの方法で、毎日本を読み、ものを書き、ストレッチをできるようになった。前よりも明らかに良き人生になった。

 

 人は習慣でできている、とよく言われる。その通りだと思う。良い習慣がつけば、自動的に人生が好転する。

 だから小さな目標を立てて、確実に達成することが大事だ。短期的にはあまり物事が進んでいないように見えても、習慣化すれば、人生単位で良い行動を繰り返すことができる。是非小さな目標から習慣を付けてほしい。

 自分が付けて良かったと思う習慣をまとめている記事もある。併せてどうぞ。

puyu.hatenablog.com

『しないことリスト』を読んで、少しだけ肩の力が抜けた

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 どうしても頑張ってしまう。我慢してしまう。一人で抱え込んでしまう。

 

 そんな人は多いと思う。俺もそうだ。なんでも自分一人で解決しようとして、やらなきゃと抱え込み、結局うまく行かず、ストレスばかりが心に積み重なっていく。

 

 そんな人にオススメしたいのが、phaさん著『しないことリスト』だ。

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 俺も読んで、少し肩の力が抜けた気がする。

 

いわゆる「しなきゃいけないことリスト」の99%は「本当は別にしなくてもいいこと」だ。この本は、世間で「しなきゃいけない」とされていることを一つ一つ検討していって、「あれもこれも別にしなくてもいいんだ。人生ってもっと幅があるものなんだ」と、少し力を抜いて楽に生きていけるようにするために書いた。

 

 本書では、36の「しなくてもいいリスト」を提示し、世間の中に溢れる「○○しなきゃいけない」と言う常識・同調意識の呪縛を解いてくれる。いきなり全てを実行するのは難しいかもしれないが、しなくてもいいんだと認識が変わるだけで、心の中に涼しい風が駆け抜ける。

 

 今回は、36のリストの中で、特に刺さったものを5つ紹介する。

 

余計な買い物をしない

 現代の消費社会は、人の欲望を煽ってうまくものを買わせようとしている。ネットを見ればコマーシャル。街を歩けば広告塔。一度店に入れば、様々な心理テクニック。とにかく企業は、私たちにモノを買ってもらおうと必死になっている。

 もちろんモノを買うこと自体は悪いことではない。しかし乗せられすぎるのはよくないと筆者はいう。

 僕がよく思うのは、「たまにパーっと散財すると楽しい」というのは、その金額が高額かどうかよりも、普段とどれくらいギャップがあるか、という部分が重要だということだ。

 どういうことかというと、日常的に1000円のものを買っていると1万円のものを買うだけでテンションが上がるけど、日常的に1万円のものを買っていると転生雨を上げるには10万円のものを買わないといけなくなるということだ。

 

 お金は、使えば使うほど楽しさを感じづらくなっていく。普段は安いもので暮らして、たまにちょっとだけいいものを買う。それがコスパが良いお金の使いだそうだ。

 

 俺は以前、大量の本を買っていた。欲しい本はとりあえず購入。買ったはいいものの、読まないまま積み上げられていく本も多かった。

 今の自分は本を買わない。それどころか「そこそこ読みたい本」は手放した。すると、残った一冊一冊の本がとても貴重に感じて、より大切にするようになった。結果、読書から得られる楽しみは増えた気がする。

 

自分を大きく見せない

他人から期待されない方が自分の好きなように行動しやすい。

 自分を大きく見せたい見栄・・・。俺は本当にこれが大きい。自分を賢く見せたがったり、たくさん本を読んでいるように演出したり・・・。この虚栄心は本当に手放したいと思った。

 見栄を張ってもなんの意味もない。結局、人格が行動に表れ、他人に印象を与えると自分は思う。だから下らない見栄は損でしかない。人には滑稽としか映らない。

 

 俺は本当に見えが強い。下らない見栄で借金を作ることもあった。少しづつ、他人に見栄を張る欲求を捨てて行きたい。

 

睡眠を削らない

 睡眠は世間の人が思っているよりはるかに大事だと俺は思う。この本を読んでその思いがさらに強くなった。

 

 よく寝ていれば頭が冴えて気分は良く、ちょっとした風景や本の一節、自分の考えだけで十分に楽しめる。

 逆に寝ていなければ頭がボンヤリとして、美味しい料理や美酒、 あらゆる名作、パートナーとの時間などを半分も楽しめないと思う。

 

 奥さんが早寝早起きだった影響で、自分も早寝早起きになることができた。

 世界が変わった。

 本当にクリアだ。目の前のことに集中できる。頭が回る。楽しめる。

 

 最近は、「睡眠の質が人生の幸福の50%を決定する」とさえ思っている。睡眠時間を確保することは本当にオススメだ。

 

イヤなことをしない

 「仕事というのは、イヤなつらいことを歯を食いしばって、ひたすら耐えて何かをがんばってこそ成果を残せるのだ!」みたいなことを言う人がたまにいるけど、そんな変な話はないだろうと思う。人生はそんなマゾゲーじゃない。

 大体、そういうことを言う人は、その人自身が「つらいことに耐えて何をがんばってる」というのが好きなだけで、単に個人の性癖だ

 

 個人の性癖とは・・・!穿った見方だけど、とても納得。そして努力についても。

 「頑張ればうまくいく」という考え方は危険だ。努力してもうまくいかないことなんていくらでもあると感じてる。運や周りの人間の影響がかなり絡んでくると思う。

 

 自分は嫌なことに耐えて耐えてしまって後悔している。嫌な勉強、嫌な部活、嫌な仕事、嫌な人間関係・・・。すっぱり辞めてもっと別のことに時間を使えばよかった。

 

 嫌なことを辞めてどうするか?「無理して努力する」よりもはるかに好転する方法が、「自分の好きなことをする」だ。

 

自分が好きなことをひたすら続けていれば、そのうちそれはどこかに繋がってくるものだ。

 

何かのためにしない

 何かをするときは、「それが何の役に立つか」を考えるよりも、そのこと自体を楽しむのが健全だ

本を読むときは「これを読むと知識が増える」とか「お金が稼げるようになる」とか考えるんじゃなくて、本を読むこと自体を楽しむ。

 

 「楽しんだもの勝ち」というのは本当だ。楽しめば続けられる。楽しめばうまくなる。楽しめば周りがついてくる。

 最初は不純な動機で始めてもいいと思う。俺もよく、「知識をつけるため」とか「賢く見られたいから」という理由で本を読むことがある。でも読み進めているうちに、その本を読むこと自体が楽しみで読めるようになることもある。

 きっかけはなんでも良いから行動をしてみて、その中で楽しいことを見つけるのがいいじゃないだろうか。そのうちに自分がどんなものを楽しめるのか分かってくるだろう。 

 俺ももっと「楽しむこと」にフォーカスを当てたい!

初心者にもオススメ、魂の海外文学5冊。読みやすくて、どこまでも面白い。

 

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 海外文学はとっつきにくいイメージを抱かれることがある。以下の理由をよく聞く。

 

  1. 日本と文化が違うから。
  2. 翻訳者を通しているから。
  3. 数が多すぎるから。

 

 ①日本文化との違いは確かにあり、時々つまづくこともあるかも知れない。しかし、作家の紡ぐ物語に乗りながら異文化を追体験することは、文化を学ぶ上でとても有用だ。簡単に、そして深く学ぶことができるだろう。

 多様な文化を学んだあなたは視野が広がり、より鋭い視点を持つことができるだろう。

 

 ②海外文学は、日本の翻訳者が訳して1冊の本となる。翻訳者を通しているので、どうしてもそれは生ではない、原作ではない、ということを嫌う人がいる。昔は俺もそうだった。

 しかし翻訳者についての知識を得ることにより、考えを改めた。*1彼らは本当に真摯に、海外文学と向き合っている。訳された海外文学はもはや、原作者と翻訳者の共作だ。翻訳を通過することによって、物語は新しい力を得ると俺は思っている。

 

 ③確かに選ぶには多すぎる(もちろん多いこと自体は良いことなんだけれど)。だから今日は俺が完全なる独断と偏見で、魂に刺さる海外文学を5冊紹介したいと思う。どれも文庫本が発売されており、あまりに難解な語彙は使われていない。それでいてどこまでも面白い。どうぞ。

 

 

ムーン・パレス/ポール・オースター

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 それは人類が初めて月を歩いた夏だった。その頃僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。僕は危険な生き方をしてみたかった。とことん行けるところまで自分を追いつめていって、 行きついた先で何が起きるか見てみたかった。

  絶品の青春小説。

 

 ため息が出るほど上手い文章が踊る。抽象的な世界へ向かっていく文章の中に、「月面着陸」「ベトナム戦争」といった当時の具体的な出来事が散りばめられ、結果的に最高のバランスを保っている。

 そしてオースター流の、突飛な偶然が導くストーリーにグイグイ引き込まれていく。最後には深い余韻が胸の奥に残る。

 もう5回以上読んだ。何気なくパラパラ開いてみても、全てのページが面白い。本当にオススメの海外文学だ。

 

 僕は崖っぷちから飛び降り、もう少しで地面と衝突せんとしていた。そしてそのとき、素晴らしいことが起きたー僕を愛してくれる人たちがいることを、僕は知ったのだ。そんなふうに愛されることで、すべてはいっぺんに変わってくる。落下の恐ろしさが減るわけではない。でも、その恐ろしさの意味を新しい視点から見ることはできるようになる。僕は崖から飛び降りた。そして、最後の最後の瞬間に、何かの手がすっと伸びて、僕を空中でつかまえてくれた。その何かを、僕はいま、愛と定義する。それだけが唯一、人の落下を止めてくれるのだ。それだけが唯一、引力の法則を無力化する力を持っているのだ。

 

エマ/ジェイン・オースティン

 

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エマ・ウッドハウスは美人で、頭が良くて、お金持ちで、明るい性格と温かい家庭にも恵まれ、この世の幸せを一身に集めたような女性だった。もうすぐ二十一歳になるが、人生の悲しみや苦しみをほとんど知らずに生きてきた。

 

 ジェイン・オースティンは壮大な世界を描く作家ではなかった。登場する人物は、19世紀イギリスの田舎の名家や牧師や軍人、そしてその家族。それだけだ。

 しかし彼女は、自分で見聞きした小世界を、徹底的に綿密に描くことができた。文体は鋭い感性とユーモアに溢れており、ストーリーも「大した事件が起こらないのに、ページを繰らずにはいられない」と評される。そして、200年前に書かれた小説なのに、今でも十分すぎるほど共感できる心理描写と共に描かれる。

 

 ジェイン・オースティンは6つの長編を遺したが、どれも「女性の結婚」がテーマである。しかしそれぞれ別のタイプの主人公が描かれており、違った読み味を楽しめる。中でも俺はこの『エマ』が一番面白いと思った。

 

グレート・ギャツビースコット・フィッツジェラルド

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 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
 「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」

  言わずと知れた、アメリカ文学のマスターピースである。アメリカでは高校生の国語の教科書に載っているらしい。日本で言うと、『こころ』や『人間失格』といったところだろうか?

 戦間期アメリカ人のねじれた倫理観と、空疎な時代の空気と、虚しく終わっていく夢を、流れる様な言葉で描いた大大大傑作だ。

 訳者もである村上春樹は本書を、人生で最も影響を受けた本であるとしている。そして、「過不足のない要を得た人物描写、ところどころに現れる深い内省、ヴィジュアルで生々しい動感、良質なセンチメンタリズムと、どれをとっても古典と呼ぶにふさわしい優れた作品となっている」と評した。

 

 村上春樹の意欲こもった翻訳と合わさって、今まで読んだ文章の中で一番美しいと思った。読んでみてほしい。

 

月と六ペンス/サマセット・モーム

 

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 「過去のことなど考えんな。重要なのは永遠に続く現在———それだけだ」

 

 平凡な家庭の良き父だったストリックランドは、ある日突然家庭を捨て、ただ絵を書くためだけにパリに渡る。そして本能が赴くままに生き始める。彼の極端でエキセントリックな行動は非常識的だが、ハッとさせられることも多い。

 そしてストリックランドは後に天才画家として名を遺す。そして、彼の人生を後から作家である主人公が追いかけていく。当時の知り合いから話を聞き、徐々にストリックランドの壮大な人生の全貌に迫っていく様は、手に汗握る。

 

 タイトルの「六ペンス」とは、イギリスの硬貨のこと。夜空に浮かび美しく輝く「月」と、平凡でどこにでも落ちている「六ペンス」を対比させている。物語の中でも随所に、「平凡⇄非凡」の対比が通奏低音のように響いている。とても読み応えのある小説。

 

大聖堂/レイモンド・カーヴァー著 

 

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「よかったら、あたしが焼いた温かいロールパンを食べてください。ちゃんと食べて、頑張って生きていかなきゃならんのだから。こんなときには、ものを食べることです。それはささやかなことですが、助けになります」

 

 珠玉の短編集。 

 人々を覆う暗雲のごとき暗い運命と、瞬間的に雲間から射す陽光のごとき救い。それらの宿命的な対比が見事に描かれている。

 

 この短編集から俺がベスト3を挙げるとすれば、「ささやかだけど、役に立つこと」「羽根」「大聖堂」の3作品になる。

 特に「ささやかだけど、役に立つこと」は、この記事を書きながら読み返していたのだが、人目のあるカフェにもかかわらず泣いてしまった。この短編は、ここ50年で書かれた短編の中で一番出来がいいと思う。オススメ。

 

 

 以上です。

 皆さんの充実した読書ライフのために。

*1:知識を学んだ翻訳者というは、主に柴田元幸村上春樹吉川一義

本気で書かなきゃ意味がない〜レイモンド・カーヴァーの精神

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 レイモンド・カーヴァーの執筆に対する姿勢を目の当たりにして、自分の態度をめちゃめちゃ反省した。襟首を掴まれ、襟を正された思いだ。

 

 それは、村上春樹の『職業としての小説家』を読んでいたときだ。「真剣に書く」というテーマのときに、レイモンド・カーヴァーの言葉が引用されていたのだ。

 

『時間があればもっと良いものが書けたはずなんだけどね』、ある友人の物書きがそう言うのを耳にして、私は本当に度肝を抜かれてしまった。今だってそのときのことを思い出すと愕然としてしまう。(中略)もしその語られた物語が、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとしたら、どうして小説なんて書くのだろう?結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓の中まで持って行けるのはそれだけである。私はその友人に向かってそう言いたかった。悪いことは言わないから別の仕事を見つけた方がいいよと。同じ生活のために金を稼ぐにしても、世の中にはもっと簡単で、おそらくはもっと正直な仕事があるはずだ。さもなければ君の能力と才能を絞りきってものを書け。そして弁明をしたり、自己正当化したりするのはよせ。不満を言うな。言い訳をするな

(出典:『職業としての小説家』村上春樹著 新潮社)

 

 その通りだ。ものを書くからには全力を出さなければ意味がない。本当にその通りだ。

 

 しかし、全力を出すのは本当に難しい。学校の部活や会社の仕事は全力で取り組むべきという風潮がある。そしてときには努力を強要されることすらある。だからこれまでの人生で何度も本気を出す機会はあったはずだ。しかし俺には本気を出すということがわからない。最後に全力を尽くしたのがいつか思い出せない。というか、果たして俺は本気を出したことがあるのかどうか、自分で疑問に思ってしまう。

 

 だから今日は、レイモンド・カーヴァーの執筆に対する態度から、「全力を尽くす」ということについて学びたいと思う。

 

 

毎日コツコツ続ける

アイザック・ディネーセンはこう言った。私は、希望もなく絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます、と。いつか私はその言葉を小さなカードに書いて、机の横の壁に貼っておこうと思う。壁には今何枚かのカードが貼ってある。

(出典:『ファイアズ(炎)』レイモンド・カーヴァー著 中央公論社

 カーヴァーは執筆期間中は、毎日書く。淡々と毎日必ず机に向かって、小説を書く。

 「全力を尽くす」というのは、短距離走的な一瞬の努力ではなく、毎日の習慣によって、長期間に渡って臨むことも含まれているのだと思った。

 

時間をかける

 カーヴァーは丹念に時間をかけて推敲することで知られている。

 ひとつの短編の草稿が出来上がると、それを出版社に送らず何ヶ月か手元に置く。そして、ときには一日15時間机に向かって、ひとつの短編を何度も書き直し、20〜30パターンほど書くそうだ。

 尋常じゃないほどひとつの短編に時間をかけているのが分かる。時間をかけるというのは、「全力を尽くすこと」とイコールなのかもしれない。

 

直感を信じる

V・S・プリチェットは短編小説をこのように定義している。それは「通り過ぎるときに、目の端っこでちらっと捉えた何か」であると。「ちらっと捉えた」というところに注目してほしい。まず最初にその「ちらっ」がある。それからその「ちらっ」に生命が与えられ、その一瞬の情景を明るく照らし出す何ものかに変えられる。そして運がよければ(という表現がここでもう一度出てくるわけだが)それは、もっと遠くの方にまで光をあてることのできる繋がりやら意味やらを手に入れるかもしれない。短編小説作家の仕事は、その「ちらっと捉えたもの」に自分の有する力の一切を注ぎ込むことなのだ。

(出典:『ファイアズ(炎)』レイモンド・カーヴァー著 中央公論社

 

 自分の直感を信じ、はかない直感に全力を尽くすこと。

 世間一般では、きちんと計算をしてから行動に移しなさい、というのが常識だ。しかし、それよりも自分の心の底から湧き上がってくる声に従った方が、自分の本気を引き出せるのかもしれない。

 

まとめ

  レイモンド・カーヴァーの言葉から全力を尽くす方法をまとめると、物事は毎日コツコツ続け、時間をかけて、そして直感を信じて飛び込む、ということだ。

 色々と調べる過程で、自分はいかにテキトーに文章と向き合っていたのかどんどん実感が湧いてきた…。日々のツイートやブログ、自分はほどほどで書き流していたと思う。

 カーヴァーほど真剣に書くのは難しいとしても、せめて彼の姿勢を見習い、毎日書き、推敲し、そして自分の心から生まれた実感を文章にしようと思った。俺にできるだろうか…?

読書とは、思考を放棄することである。思考停止に陥らないための読書法。〜『読書について』

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 読書とは、思考を放棄することである

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読書について ショーペンハウアー著 光文社


 俺の読書人生において、トップ5*1に入るほどの衝撃を受けた本。

 

 『読書について』とタイトルを付けられているが、ほとんど『読書しないことについて』と言うタイトルを付けた方が、より内容を正確に伝えているとすら思う。

 

 この本の主張の核は、「読書とは、思考を放棄することである」ということだからである。

 

本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。

 

読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人に委ねることだ。

 

 一般的な理解はこれとは逆であろう。

 

 「本を読んだら賢くなる」

 「本を読んだ方がたくさん考えられる」

 「本はできるだけ読んだ方がいい」

 

 これが一般的なイメージだと思う。自分もそう思っていた。

 しかしこの本に指摘されて気が付いた。俺は今まで楽をするために読書をしていたのだ・・・。

 

自分のことを賢いと勘違いしていた

 今まで、ニーチェやらドストエフスキーやらロラン=バルト*2やら、背伸びをして難しい本を読んできた。そんな難解な本を読んでいる自分は賢いと思っていた。かっこいいと思っていた。イケてると思っていた。

 

 自分で考えるのは大変だから、エライ人の賢い意見をさも自分のオリジナルであるかのように語り、悦に入っていた。そして難しい本を読まない人間を見下していた。

 

 お前ら馬鹿どもにわかってたまるか。

 

 しばしば、他人から評価されないことや他人から好かれないことを、「自分の頭が良すぎるからだな」と納得していた。そしてますます本を読み、過去のエライ人たちの意見で自分を塗り固めていった。

 

 賢い俺はお前らとは次元が違うんだ。*3

 

 

 月日が経ち、『読書について』を読み(そして様々な人生の経験を積み)、自分が間違っていたことに気がついた。他人の意見で塗り固めた自分の方こそ馬鹿だった。

 

 たとえ幼稚な意見でも、自分の手触りで意見を作り上げてる人の方がよっぽど賢いし、充実した人生を送っていると思う。

 

 

 では、読書は悪なのだろうか?本は焼き捨てるべきなのだろうか?もう本は読まない方がいいんだろうか?

 

 俺はそうは思わない。

 自分を律し、きちんと向き合い、負荷をかけ、意見を立ち上げるような読書は可能だと思う。以下に、3パターン挙げてみた。

 

思考停止に陥らないための読書法3つ

1、要約する

 読んだものは要約する。 要約とはいえ、短くするにはある程度自分の言葉に直す必要がある。根が同じでも、自分の言葉に直せば、自分の思想がどんどん盛り上がってくる。

 自分は重めの本を読む時に、ひと段落を1行で要約しながら読み進める。とても負荷がかかるが、意見を作り出すのはいつでもキツいもの。圧力がかかってこそ、自分の思考・意見が生まれてくるというものだ。

 

2、感想を書く

 ありきたりだが、感想を書くこと。今自分がこの記事でやっているようなことだ。できればSNSやブログで発信した方が良い。その方が負荷がかかる。(そしてツイッターには「読書アカウント」という素晴らしいクラスタがある。)

 

 オススメなやり方が一つある。読んだ時に何か感じたら、それはすぐにメモをしておくことだ。どんなに簡単でもいい。一言でいい。場所は本の余白でも、スマホのメモ機能でもどこでも。例えば、

 

「理解できない」「衝撃」「違うと思う」「この表現素敵」「やってみたい」

 

などだ。自分が後で感想書くための取っ掛かりとなる。逆にこの一言がないと書きづらい。

 

3、実践する

古今東西あらゆる時代・土地で言われて来た、不変の真理、

 

とにかく行動せよ*4

 

だ。

 

勉強法の本を読んだらそれを元に学習する。
文章術の本を読んだらそのルールで文を書く。
小説を読んだら表現や構成を使ってみる。

 

 行動して、何かにぶつかれば自然と考えは生まれてくる。

 

最後に

 偉そうに講釈を垂れたが、自分も行動できているわけではない。余計なプライドや、ものぐさや、自信のなさから、行動できないことは今でもいくらでもある。

 

 最近、やっと前からやりたかったブログを始めた。この記事を自分への戒めとして、行動の人になりたい。*5

 

 

*1:トップ5と書いたものの、5つ明確に思い浮かんでいるわけではない。

*2:ニーチェドストエフスキー、ロラン=バルトを難しい本として挙げるあたり、理解の浅さが知れる。

*3:思っちゃってました。すいません。

*4:これが難しんだけどな。

*5:読んでいただいてありがとうございました。

社長と雑談していたら「媚び売ってるね」と上司に言われ、鏡に引きこもる

 

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 結論はこう。

 

 他人は自分を映す鏡

 

 

 先日、職場の休憩室で社長と出くわした。

 顔見知りだし、お世話になっているし、沈黙したまま休憩室で二人きりなのは気まずいし、あと純粋に会話を楽しみたいので、声をかけさせて頂いた。

「連休はいかがお過ごしでしたか?」

 

 そのまま数分間、ちょっとした雑談を交わし、仕事に戻った。

 

 その少し後で、上司に呼び止められ、

 「社長とあんなに話すなんて、媚び売ってるね」

 と、ニヤリとしながら言われた。嫌味を言われたようで、少し背筋がヒヤリとした。

 

 しかし、「すごい」とか「わかってる」とも言われた。

 だからきっと純粋にマイナスの意味で言ったのではないと思う。

 

 きっと上司はこう言ったのだ。

 「会社では、目上の人に気に入られることが大切だ。出世や監査にひびく。だから、どんどん上の人間には媚びを売るのがよろしい。その点、君はすごい。いきなり社長に媚びを売るんだから。しかも休憩室でちょっと雑談なんて気が利いてる。度胸がある。優秀だ。どんどんやりたまえ」

 

 きっと上司は上の人間に媚びを得る人間で、かつそれを正義と思っているのだろう。上司は目下の人間と話すときはたまに目が死んでおり、目上の人間と話すときは声がワントーン高くなる。

 

 だからその態度を俺にも投影したのだ。上司にとって、社長との雑談は媚びを売るためのものなのだろう。だから、俺が社長と話しているのを見て、「あいつも媚びを売っているんだな」と考えたのだろう。

 

 他人は自分を映す鏡だ。

 

 悪人は、「みんなも俺と同じように悪事を企んでいやがる」と感じる。

 善人は、「みんなも僕と同じように親切をしようとしてるのか?」と感じる。

 世界の見え方が全然違うんだろう。

 

 当たり前だけど、自分と同じ考えを他人も持っていると考えるのをやめよう。

 そして、他人をよく観察しよう。そこには自分が映っている。

 

 他人を邪悪だと感じるなら、邪悪なのはあなたの方かもしれない

誰でも絶対により深く読める最高の読書法・・・それは再読

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まことに奇妙なことだが、ひとは書物を「読む」ことはできない、ただ再読することができるだけだ。良き読者、一流の読者、積極的で創造的な読者とは再読者なのである。
(ナボコフ

 

 皆さんは、一度読んだ本はどうするだろうか?

 

 一度読んで放りっぱなしにしているんだったら勿体ない。あまりに勿体ない。

 なぜなら再読こそが読書の本番だからだ

 

 なぜ再読が本番なのか?

 

 一度目の読書というのは、地図を持たぬまま冒険に出かけているようなものだ。

 全体像を与えられぬままに、一文一文、前から後へ読んでいくしかない。

 しかし解釈というのは本来、全体の言葉を読んでからじゃないと確定しない。解釈とは文脈で決まるものだからだ。第一章を読んで第一章に下した判断と、第二章まで読んでから第一章に下した判断は全く別のものになる。

 

 全体を読むまで解釈が決定しないのだから、一度目の読書は、常に宙ぶらりんのまま進むことになる。次々と新しい展開・思想・情報が与えられ続けるので、ただ文章の流れに翻弄される読書にならざるを得ない。

 

 では、読書は常に翻弄され続けるしかないのだろうか?

 

 いいや、再読することであなたに確かな道を歩むことができる。

 

再読のメリット

 

 すでに一度読んでいるおかげで、あなたは筆者の主張も結論も展開も知っている。それは地図を手に入れたのと同じことだ。手探りで進んでいたあなたとは違う。

 

 再読するときには、一度目読んだときには気づかなかったことに気付ける。

 読み飛ばしていた箇所、読み取れてなかった意味や連関、全く聞こえていなかった行間の声。そして二度目の方がはるかに簡単に、しかも速く読めている自分に気がつくだろう。

 

 一度目の読書が、あなたの読み手としての能力を高めたのだ

 

 そして、2冊の本を読む場合に比べて、1冊の本を2回読む方がはるかに得だと思う。なぜなら、

  • 本の内容への理解度が上がる
  • より早く読める
  • コストが少なく済む(本代、本を置く場所)

 

 さらに俺の場合、意識も変わった。

 必ず本は2度読むと決めているので、2度読む気が起きないような本は、最初から手に取らないようになった。そして読んでいる途中で再読する気が起きなそうと感じたら、「損切り」をして読むのをきっぱりとやめる。2度読むと決めているからこそ、しっかり判断をするようになった。

 

 再読は本当にオススメ。という再読前提じゃない読書はもう考えられない。

 皆さんも再読を利用して、良き読書ライフを。