人間であれ

人間になりたい

日々まともに働き、暮らし、人間になる方法

真の善人は、悪人から生まれる

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 真の善人は悪人から生まれる。

 

 ということをふと思った。今日こんなツイートをした時のことだ。

 

 

  「人間は社会的な生き物であるから、他人に貢献することで幸福感を得られる」という趣旨のツイートをした。

 すると、それを見た妻が、

 「こういうこと言うやつって人に迷惑かけてきた人間なんだよな

 

 と言い放った。

 その場は笑い話で終わったが、核心をついている気がした。

 と言うのも、俺は人に迷惑をかけてきた人間で、だからこそ親切の良さをわかっているからだ

 

 自分は邪悪な人間だった。人を平気で騙して傷つけた。怠惰で自分のためにも人のためにも何もせず、なのに外面ばかり着飾った。

 今では少しずつ変わってきている(と思っている)。

 結婚をして、日々仕事と家事をして、読書し勉強し執筆している。人のために行動できるようになってきた。つもりである。

 

 そのようにどちらも経験してみて、やはり今の方がいいと思うのだ。人に親切にすることが、自分の人生の充実のためにも良いと感じている。この考えに至ることができたのは、以前の邪悪な自分があってこそだと思う。どちらも体験しているからこそ、リアルな体感で比較することができる。実際の肌感で比較してみて、今の方が良いと断言できるのだ。

 

 だから、真の善人になるには、一度悪人を経由しなければいけないのかもしれない。悪を知っているからこそ、善のありがたみがわかるのだ

偶然に導かれて再びこの本を手に取る〜『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』

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 昨日、本棚から少しだけ飛び出ていた本があったので、他の本と背表紙を揃えるように位置を戻した(綺麗好きなのだ)。

 

 今朝本棚を覗くと、なぜかまた同じ本が飛び出ていた。それが『ずっとやりたかったことをやりなさい。』だった。

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  不思議なこともあるものだなあ、と思う。そもそもこの本を手に入れたのも不思議な偶然からなのだ。

 

 

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 1年前、創作に関する本の評判を色々と調べていた俺は、この『ずっとやりたかったことを、やりなさい』に行き当たった。レヴューも好意的だし、長い間売れている本らしい。

 まずは図書館で、ざっと流し読みしてみる。

 自分の中の創造性を養うための3ヶ月のプログラムが解説されている。創造力というものは本来誰しもに備わっていて、創造性がないと感じる人も、自分自身で発揮するのを阻害しているだけらしい。

 俺はとても興味をそそられた。自分の創造性が発揮できたらどんなに嬉しいだろう?誰もが心惹かれる面白い物語を考えつけたら?美しい表現を思いのままに書けたら?説得力があり目に楽しいデザインができたら?どんなにいいだろう。

 

 そんなわけで『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を買おうと心に決めた。そんな矢先に、なんとひょっこり妻の荷物からこの本が出てきたのだ

 曰く、会社の先輩にこの本をもらい、「とてもいい本だから」と読むように勧めれていたが、手付かずのまま段ボールにしまっていたらしい。

 物凄い偶然だ。この世界で一体どれほどの本が出版されてきただろうか?そして自分の欲しい本はどれだけ狭い範囲のものか。自分の欲しい本が妻の忘れていた荷物から出てくるなんて、奇跡的な偶然だと思った。

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 それで早速、本のプログラムをやってみた。1ヶ月ほど続けた後で、日常の忙しさのためか、いつの間にか忘れ去ってそのままやめてしまった。

 

 しかし今朝、本棚でこの本が呼んでいたので、もう一度手に取りプログラムを始めることにした。このプログラムの基本ツールはモーニングページである。これを毎日やることがこのプログラムの基本だ。以下、モーニングページのルール。

 

  • ノートか紙を用意し、思いついたことを思いついたままに書く。
  • 手を止めてはならない。書き続ける。
  • 朝、目覚めたらすぐにやる。
  • 終わりは自分で決めて、それまでひたすら書く。(15分間とか、ノート1ページ埋めるまでとか)
  • 他人に見せない。

 

 モーニングページをすると何が良いか?心の検閲官を無視することができるのだ。

 

 アートには自由な発想が必要だが、誰もが心に検閲官を飼っていて、彼が創造の邪魔をする。

 

「そんなつまらないもの書いて何になるの?」

「誰にも求められてないぞ」

「今できなきゃ一生できないに決まってる」

 

 こんな風に、心の検閲官はあなたの創作を邪魔してくる。そして自分の作るものが馬鹿馬鹿しくなり、やめてしまう。心当たりはないだろうか?しかし、あなたにとって大事なのは、ただ作り続けることだけである。それだけがあなたの創造性を高める唯一の方法だ。

 モーニングページによって、毎日ただただ書き続けることによって、検閲官の声を無視する方法を学ぶことができる。あなたの中にどんなに素晴らしいものが眠っていても、まずは始めないことには何もならない。モーニングページであなたの心のリミッターを外そう。

 俺も今日から毎日書こうと思う。

ダメ人間のヒーロー〜『中原昌也 作業日誌 2004→2007』感想

 

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 誰にでも気分が落ち込むような時がある。

 みなそれぞれ気晴らしの方法があると思う。好きな音楽を聞いたり、気持ちの良い公園を散歩したり、酒を浴びるほど飲んだり。

 

 自分の場合は読書だ。特にこの『中原昌也 作業日誌 2004→2007』を読むことだ。

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 中原昌也は、音楽製作家であり、作家であり、映画評論家でもあり、マルチに活躍する文化人なのだが……。

 

 7月8日

 朝から理由もなく、嫌な気分に。

 どうしようもなく生きるのが辛いが、自殺する気などまったくないのがまた辛い。もうどうにもならない。本当に悲惨なのは、無駄に生き続けることだと悟る。

 

 彼の日誌はとにかく暗い。全ページが、自己嫌悪、罵詈雑言、ネガティブワードで溢れている。

  

3月23日

 強烈に全ての仕事がやめたくなる。いまの悩みは、目の前に積み上げられた仕事を片付けてかたバイトを始めるべきか、それとも豪快に全部辞めて直ちにバイトを見つけるべきなのかということである。

 しかし、いまは特に何かを始めようという気が起きない。ただただモヤーッとした不快な感覚が胸の辺りで重くうねっている。

 いまはまだ昼過ぎだが、このような調子では一日中何も出来ないだろう。早く夜が来て、さっさと今日が終わってほしい。

 

  世の中を呪い続けるのと並行して、ひたすら大量の音楽を聞き、映画を観る。

 

4月19日

 昼に起きる。また悪いモードに戻ってきてしまったようだ。何もやる気が起きず、ただただ辛い。

 仕事を片付けるため、昼から爆音でEXTREME NOICE TERRORを聴き、次にルー・リード『METAL MACHINE MUSIC』、それからCRASSを聴き、POISON GIRLS『HEX』(名盤!CD入手できず)聴いて、またCRASS(さっきは1stで今度は2nd)に戻る。しばらくして、スログリREMIX盤の「Hot on the heels of love」のカール・クレイグEDITを何度も聴く。十代半ば頃から変わらず死ぬほど愛している名曲であるが、長くなった分だけまた素晴らしい。ここで聞こえる音の全てが官能的で可愛らしくて…特にシンセとヴァイヴの奏でるメロディが。こんなのを今度の再結成でやってくれたら泣いてしまうだろう。昔だってライヴで演ったことないのだから、多分ないだろうけど…。それでまた最近やたらDJでもかけて家でもよく聴くPLASMATICの12インチ「Butcher baby」を聴きながら「ブチャベイビー」と口ずさむ。で、またEXTREME NOICE TERRORのピールセッションを。実は最初に出たブートのEPしか持っていず、さっき急いで正規版をamazonに注文。ついでにCHAOS UKのベストも頼んだりして、少し楽しみができてよかったよかった。で、次にNEGATIVE APPOACH のCDを聴く。こういうのを爆音で常時聴ける環境さえあれば沢山原稿を書くのに。辛くてたまらない日常も、なんとか耐えられるようになるのに…そんなのが手に入る人間ならば、こんな音楽なんて必要ないだろうけど。

 夜は河出編集者Oさんと打ち合わせ。

 帰ってきてビデオで、グレミヨンの『この空は君のもの』を観る。意志を貫くことの尊さについて考えさせてくれた。ありがとう。

 

 どんだけ音楽を聴いて映画を観るんだ!!彼の文化の受容ぶりには舌を巻く。時には、金がなくなり、借家を追い出されそうになっても、CDやDVDを買うのをやめない。彼の知的好奇心と、現実の金のせめぎ合いには冷や冷やさせられる。そして聴いたことのないアルバムや映画の名前の激流にクラクラしてくる。

 

 彼の罵詈雑言や呪いの言葉と相まって、これを読んでいるといつの間にか嫌な気持ちが消えている。

 それは決して、彼を下に見て「俺はまだましだ」と安心しよう、ということではない。こんな生き方もあるのかと、こんな人間もいるのかという驚きと、知識と悪口の渦に飲まれて訳が分からなくなる清々しさ。これがこの本の読後感だ。

 

6月28日

 起きたらもう2時過ぎで驚く。

 今日は新潮クラブから退出する日。タクシーで文春に移動。

 誰か知り合い、死なないかなー、と思いながらヨダレが口からダラリと落ちる。

 何もかもどうでもいい。どいつもこいつも首を吊って死んじまえ。

 

 

時間を味方につける〜村上春樹の習慣術はあまりにも凄すぎる。

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 俺の心の師匠・村上春樹は、今や50ヶ国以上の国で翻訳される世界作家だ。世界中が村上春樹の小説を求め、絶賛している。しかし、彼は華々しいデビューを飾り派手に文学の階段を駆け上がったわけではない。確固たる習慣を守ることによって、着実に堅実に一歩ずつ歩んでいた作家だ。

 

 彼は時間を味方につけるのがとても上手い。そして、意志や才能やその場限りの努力ではなく、良い習慣によって文章を書き上げる。彼が身につけた習慣は本当に素晴らしい。今日は謹んで村上春樹の習慣を紹介させていただく。

 

 

毎日決まった時間に起き、走り、決まった分量を書く

 村上春樹はなんと夜の9時に眠り、朝は4〜5時に起きる。

 起きたら文章を書き始めるのだが、必ず原稿用紙10枚分書くそうだ。どんな筆がのっていても、10枚分でやめる。どんなに気が進まなくても10枚分まで書く。

 そして毎日ランニングをする。

 

村上:習慣はすごく大事です。とにかく即入る。小説を書いているときはまず音楽は聴きませんね。日によって違うけれども、だいたい五、六時間、九時か十時ころまで仕事します。
− 朝ごはんは食べずに。
村上:朝ごはんは、七時ころにチーズトーストみたいなのを焼いてちょっと食べたりするけど、時間はかけない。
− あとはひたすら書いているのですか。
村上:そうですね。だれとも口をきかないで、ひたすら書いています。十枚書くとやめて、だいたいそこで走る。
− 十枚というのは、四百字づめの原稿用紙に換算しての十枚。
村上:そう。僕のマックの書式だと、二画面半で十枚。書き終わると、九時か十時くらいになります。そしたら、もうやめてしまう。即やめる。
− そこから先は書かないんですか。
村上:書かない。もう少し書きたいと思っても書かないし、八枚でもうこれ以上書けないなと思っても何とか十枚書く。もっと書きたいと思っても書かない。もっと書きたいという気持ちを明日のためにとっておく。それは僕が長距離ランナーだからでしょうね。だってマラソン・レースなら、今日はもういっぱいだなと思っても四十キロでやめるわけにはいかないし、もっと走りたいからといってわざわざ四十五キロは走らない。それはもう決まりごとなんです。
− たとえば青豆と天吾の章が交互に出てくるBOOK2で、青豆とリーダーの対決のシーンが終わったところが、その日の六枚目だとしても、つぎの章を四枚書くわけですか。
村上:もちろん。
- どうしてペースを守ることが大事なんでしょう。
村上:どうしてだろう、よくわからない。とにかく自分をペースに乗せてしまうこと。自分を習慣の動物にしてしまうこと。一日十枚書くと決めたら、何があろうと十枚書く。それはもう『羊をめぐる冒険』のときからあまり変わらないですね。決めたらやる。弱音ははかない、愚痴は言わない、言い訳はしない。なんか体育会系だな(笑)。

今僕がそう言うと「偉いですね」と感心してくれる人がけっこういますけど、昔はそんなこと言ったら真剣にばかにされましたよね。そんなの芸術家じゃないって。芸術家というのは気が向いたら書いて、気が向かなきゃ書かない。そんなタイムレコーダーを押すような書き方ではろくなものはできない。原稿なんて締め切りがきてから書くものだとか、しょっちゅう言われてました。

でも僕はそうは思わなかった。世界中のみんながなんと言おうと、僕が感じていることのほうがきっと正しいと思っていた。だからどう思われようと、自分のペースを一切崩さなかった。早寝早起きして、毎日十キロ走って、一日十枚書き続けた。ばかみたいに。結局それが正しかったんだと、いまでもそう思いますよ、ほんとうに。まわりの言うことなんて聞くもんじゃないです。
(出典:『考える人』2010年8月号 新潮社)

 

 村上春樹は人生が長丁場であることを実感している。その場限りではなく、長く歩み続けるための仕組みを自分で立ち上げ、それを意識的に守っていく。今日しっかり習慣を守り歩めば、明日はもっと簡単に歩める。そして日を追うごとに歩みは確固たるものになっていく。まさに時間を味方につけているのだ。 

 

小説を書くシステムを守る

 村上春樹は、長編小説を書くときは他の仕事は全て片付けておき、その小説だけに手中する。

 そして確固たる書き直しのためのルールを守る。

 

 彼は何度も丹念に書き直す。まず第一稿を書き上げた後は、1週間ほど休んで第1回目の書き直し。結果的に矛盾してしまった箇所、筋の通らない箇所を書き直していく。

 そして1ヶ月ほど時間をおき、小説を寝かせて「養生させた」あとで、第2回目の書き直しをする。

 次に、第三者の意見を取り入れる。彼は、まず出来上がった原稿を奥さんに見せる。そして批判された箇所があれば、しのごの言わずに頭から書き直していく。

 その後、出版社に原稿を渡し、編集者の意見を聞き、ゲラを真っ黒にしながら何度も何度も書き直す。

 

 時間は、作品を創り出していく上で非常に大切な要素です。とくに長編小説においては、「仕込み」が何より大事になります。自分の中で来るべき小説の芽を育て、膨らませていく「沈黙の期間」です。「小説を書きたい」という気持ちを自分の中に作り上げていきます。そのような仕込みにかける時間、それを具体的なかたちに立ち上げていく期間、立ち上がったものを冷暗所でじっくり「養生する」期間、それを外に出して自然の光に晒し、固まってきたものを細かく検証し、とんかちしていく時間……そのようなプロセスのひとつひとつに十分な時間をかけることができたかどうか、それは作家だけが実感できるものごとです。そしてそのような作業ひとつひとつにかけれれた時間のクォリティー必ず作品の「納得性」となって現れてきます。目には見えないかもしれないけど、それには歴然とした違いが生まれます。

(出典:『職業としての小説家』村上春樹著 新潮社)

 

 このように村上春樹は、自分で作り上げた執筆のルールを守りながら、長い時間をかけて小説を完成させていく。

 

終わりに

  習慣の大切さはあらゆる偉人が言及してきた。そして様々な優れた習慣を見てきた。

 しかし、村上春樹の習慣は頭ひとつ抜きん出ている。本当に丁寧に丁寧に、自分の習慣を作り上げている。これほど己の習慣を大事にする人は初めて見た。これこそが、俺が村上春樹を心の師匠と崇める理由である。

 

 最後に。村上春樹とは比べるべくもないが、俺も今までの人生で習慣を作り上げてきた。こちらの記事で、身につけて良かった習慣ベスト5について記事にした。併せてご覧ください。

puyu.hatenablog.com

自己嫌悪はこころに悪い

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自己嫌悪はこころに悪い 

 

 皆さんも時には、自己嫌悪に陥ることがあると思う。

 

「どうして自分はこんなに駄目なんだろう?」

 

「なぜあの時、俺はあんなことをしてしまったんだ」

 

「決めたことも守れないなんて・・・」

 

 しかし言うまでもなく、自分にとって自分とはこの世界で最も重要な人物である。 可愛い可愛い存在である。それなのになぜ嫌悪などするのだろうか?快適に生きるために、自己嫌悪は全く必要がないように見える。

 

 結論から言うと、自己嫌悪は自分をごまかす手段なのだ。

 そして、自己嫌悪をしているとき、自分は二つに分離している。行き過ぎると、自分を失っていくと思う。

 

自己嫌悪による精神の分離

 分離しているとはどう言うことか?

 

 例えば、ダイエット中についついラーメンを食べてしまって、自己嫌悪に陥ってしまった人のことを考えよう。

 彼は体型を絞るためにダイエットをしている。本当は脂っこいラーメンなどダイエットには御法度だが、欲望に負けてついつい食べてしまう。そして食べたしまった後で反省し、自分を責める。「ダイエット中なのに、なんで食べてしまったんだ。自分は決めたことも守れない、なんてダメな人間なんだ」と過去の自分を責める。しかし、この「過去の自分を責める自分」とは一体誰なのか?過去の自分を、今の自分が責めているようにそうではない。

 

 実は、「現実の自分」を「架空の自分」が責めているのである。

 

 「架空の自分」とは「現実の自分」から分離した存在である。「現実の自分」がラーメンを食べた。しかし、それでは自分はただの欲望に負けた意志の弱い人間になってしまう。だから「架空の自分」が立ち上がってくるのだ。ラーメンを食べた自分を責め、「つい」とか「魔が指した」と言って、ラーメンを食べたのは本当の自分ではないと主張する。言い聞かせる。それをよって自尊心を保っているのだ。本当の自分は、ダイエット中にラーメンを食べる意志の弱い人間ではない、と。

 

 自己嫌悪は自分を失う

 しかし自己嫌悪は二者択一に陥った時に、人が取りがちな良くない選択肢だと思う。自己嫌悪は手軽に自分をごまかせるのだ。

 

 つまり、「ラーメンは食べたいが、しかし意志の弱い人間になるのは嫌だ・・・」と言う風に、よくない欲望を持ってしまったが、それをすると自尊心が損なわれる場合に、自己嫌悪は使われる。「現実の自分」はラーメンを食べて欲望を満たしておきながら、「架空の自分」がそれを責め、嫌悪し、自分の人格には全く問題がないと主張する。一挙両得というわけである。

 

 しかし、その態度は人生の充実から程遠いと思う。

 何か悪いことをするたびに、「架空の自分」が「現実の自分」を責め、責任をなすりつける。「架空の自分」はどんどん肥大していくのに、「現実の自分」は何も変わらない。だから落差はどんどん大きくなっていき、最後にはとうとう現実を変える力を失うだろう。

 

 だから、自己嫌悪していると感じたら、気を付けて自分の心の動きを観察した方がいい。

 そして、自分を責めず、自分のやったことは受け止めて、「これからどうするか?」と考えることが、現実を変える唯一の方法なのだ。

人の話を真剣に聴くのは難しい。コツは「待つこと」だと思った。

 

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人の話を真剣に聴くのは難しい。

 うちの妻は会話の天才だ。

 私の話に適切に相槌を打ち、意見を挟み、理解できない時には質問をし、聞きそびれた時には「聞こえなかった」と言う。

 

 しっかり人の話を聴いているのだ。

 

 それに比べて自分はと言うと、聴いてもいないのに理解もしていないのに「ふうん」とテキトーに相槌を入れたり、話の流れにそぐわない自分の意見を差し挟んだりしてしまう。

 

A「この前○○って映画観たんだけど、・・・」

B「○○なら私も観た!めっちゃ面白かったー!主演の××が〜・・・」

 

 Bさんは相手の話を聴いていると言えるだろうか?言えないと思う。会話が成立しているように見えて、Bは一方的に自分の意見や考えを述べているだけだ。しかし、相手の話を受け止め、それに対して自分が発言をすると言うプロセスを踏んだ方が、充実した会話になる上に、相手との信頼関係が築ける。

 

 だから俺は、「会話の肝は、相手の話を聴くこと」だと思っている。

 しかし、人の話を聴くのは本当に難しい。上記の例は極端だとは思うが、同じようなやり取りは至る所で見られる(皆さんも覚えがあるのでは?)。事実、俺も妻によく、「話をちゃんと聴いていない」と指摘されることがよくある。

 

 どうしても余計なことを考えてしまう。

 

「俺だったらこうするのに」

「それは間違ってるんじゃないか」

「今日の夕飯どうしようかなあ・・・」

 

 俺は人の話を聴いていると言うより、

人の話が耳に入ったことによって頭の中に生じた自分の意見

を聴いているだけだった。

 

どうしたら人の話を聴けるだろうか?

人の話を聴くコツを考えた。

  結論から言うと、自分は待つことにした。

 具体的に言うと、

 相手の発言の終わり、つまり句点(。)を待つことにした。

 

 これが自分に実践できて、普段から意識できることの第一歩だと考えた。先の例でいうと、

 

A「この前○○って映画観たんだけど・・・」

 

 この時点で発言せず、最後まで相手に話してもらう。これを意識することで、どんな良いことがあるかと言うと、

  • 相手の話を遮らなくなる。
  • 相手の話に耳を傾けることを意識できる。
  • 自分の意見を手放す意識ができる。

 話を遮るのは最悪のマナー。話を聴いていないのが相手に伝わる。また、句点を待つことは、相手の話により耳を傾け、自分の意見を手放す助けになる。

 このように、自分は最近「句点を待つ」ことを意識している。意識するだけで物事は変わっていくと思う。これからも続けて、聴けるようになる工夫をしたい。

 

 

 

(ちなみに妻に会話のコツを訊くと、

 

「己を殺すこと」

 

だそうだ。やはり天才か。)

スマホ中毒が人生を破壊する。なんとかスマホと上手に付き合いたい。

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 スマホ中毒になっていると気がついた自分。
 この記事では、スマホ依存から抜け出すために講じた策と、実際にやってみた結果を書いた。

私はスマホ中毒だ・・・

 家でスマホ、職場でスマホ、通勤もスマホ寝ても覚めてもずっとスマホ

 スマホ中毒だ。自分の生活は本当にスマホだらけになってしまったと思う。そして、特にスマホで有意義なことをしているわけでもない。Twitterのトレンドを徘徊したり、Youtubeを流し見たり、ゲームをしたりと、ただなんとなくスマホをいじっていることが多い。これは無駄な時間を過ごしているんだと思う。

 iPhoneを使っていると「スクリーン・タイム」という機能で、自分が1日どれだけスマホを使っていたかが表示される。・・・正直スクリーンタイムを見たくない。自分がどれだけスマホで貴重な人生の時間を無駄にしているか、リアルな数字で突きつけられるからだ。今恐る恐るスクリーンタイムを見てみると・・・。

 

 
 
 
 なんと一日に平均7時間スマホをいじっているのだ!活動している時間の3分の1以上をスマホを見て生活しているのだ。客観的に見て、正気の沙汰とは思えない。こんな小さなデバイスに、一日中張り付いているのだ。本当に狂っていると思う。
 
 
 しかし私と同じような人間が、世間には多くいるらしい。今やスマホ中毒は社会問題になっている。これだけ便利でなんでもできる道具だ。依存してしまうのも仕方がないだろう。
 
 スマホ中毒はただ単に時間を奪われるというだけではない。
 

こんなにある!スマホの悪影響

 スマホを使いすぎることの悪影響として、以下のものがわかっている。
 
  • 睡眠の質の低下。寝付きが悪くなる。
  • 視力の低下。
  • 記憶力・集中力の低下。
  • 意欲の低下。
 自分に当てはめてみて、納得できる事ばかりだ。ベッドでスマホをいじっていると、眠れなくなっていつもの間にか深夜になっている。ずっと画面を睨んでいて目が痛くなる。以前より、本を読み続ける時間が明らかに減っている。新しいことをするのに腰が重い・・・。
 
 なんとしてでも、使い過ぎをやめ、スマホと適切な距離を置きたいのだが・・・。
 

恐ろしき、スマホの中毒性

 スマホの中毒性は、ギャンブルと同等と言われている。なぜか?
 
 スマホにはギャンブルと同様に、「かもしれない」が満載なのである。
 
 
 ギャンブルは当たりもすればハズレもする。儲かりもすれば損もする。絶対に儲かるわけでも絶対に損をするわけでもないのがポイント。ランダムに良いことと悪いことが起きるのが、一番中毒性が高いと言われている。スマホも同様だ。
 
 Twitterでいいねしてもらえる「かもしれない」。
 Lineで連絡が来る「かもしれない」。
 Youtubeで次に観る動画は面白い「かもしれない」。
 
 スマホを使っていると、たくさんの「かもしれない」に振り回される。スマホ依存から抜け出すのは簡単ではない。だから意識して対策せねばならない。気合い入れよう。
 

さよならスマホスマホ依存対策とその結果。

スマホから物理的に距離を置く。

 スマホはポケットから取り出せて、簡単にいじれてしまう。その便利さが中毒性を加速させている。だから物理的に距離をおき、簡単に触れないようにする。
 
 例えば通勤電車では、スマホはカバンにしまう。
 例えば家ではスマホを目に付かないところに置いておく。(キッチンの棚、ロフトなど)
 
 自分は、仕事の電話などを受けたいので通知はオンにしておき、スマホの上に紙の資料を置いておいた。これならばとにかく目には付かない。
 

スマホの画面をモノクロにする。

 スマホの画面表示をモノクロにして、魅力度を下げる。
 
 iPhoneならば、
 
 設定>アクセシビリティ>画面表示とテキストサイズ>カラーフィルター
 
 で変えることができる。
 
 
 
 モノクロになると、スマホがつまらない。いじる頻度が減った。
 

③よく使うアプリを消す。

 アプリは便利。ホーム画面からワンタップで起動させることができる。だからこそ、依存性が強い。
 
 思い切って、消せるアプリは消してしまおう。例えば、TwitterなどのSNSは、アプリを消してブラウザで見よう。できるだけ、使うためのハードルを上げて、めんどくさくするのがポイントだ。
 
 自分の場合はまず、Twitterを消した。次によくプレイしていたゲームアプリを消した。これにはなかなか決意が必要だったが、エイヤっと一息に消した。
 

スマホ依存対策。実際にやってみた結果。

 以上の対策をして、一日過ごした。結果・・・
 
 
 
 昨日1日で、スマホ触っていた時間、1時間50分!!!
 
 以前まで、平均週7時間だったことを考えると、効果があったと言っていいだろう。
 
 午前中はスマホに触らないでいるのが辛く、ソワソワしていたが、午後にはほとんど無視することができた。仕事(リモートワーク)が捗ったし、物事に集中できたし、夜は寝付きが良かった。
 
 こっちの方が充実した人生を過ごせそう。
 
 スマホは確かに便利で、楽しく、ずっといじっていたい。でも自分で時間やルールを決めて使った方が、何事もより楽しく過ごせると思う。これからはスクリーンタイムが2時間以内になるように、上手にスマホと付き合っていこう。